真の僧侶である心と行動
去年行われたタンマガーイ寺院での国際短期出家コースに参加し、今回2回目の参加となりました。前回はチェンマイでの瞑想コースが終了し、本人に戻る途中にランパン県でバス事故に遭って、3度の手術を経験するという波乱万丈の展開でした。
その後、5ヶ月間僧侶を続け、また、時間のある時は友人僧侶の翻訳等のお手伝いのボランティアをしていました。お手伝いをする原因となったのは、コースに参加し1週間程でそれまでの瞑想では得られなかった体験をしたからです。それは何度か現れていた光り輝く玉が体の中心に位置すると、ゆっくりと透明に変化していったことです。玉の隅々までハッキリと見透ける、輝くような透明でした。
その後は二度と現れることはなく、この体験をしたくて、この短期出家コースに参加したこともいえます。又、タンマガーイ瞑想を夫婦で実践してから、家庭内が平和になり、自分自身の欠点である短気さが幾分治まったように感じたからです。
しかし、昨年の体験から一つの不安がありました。それは「托鉢」をチェンマイでの寺院で何度か行うと言うことでした。日本では「布施」と言う行為が多くの宗教によって悪用されており、それが日本人の宗教嫌いに結びついています。それがタイでは、布施する者とされる者が純粋な功徳を得る行為として息づいていることです。自分自身が布施される立場になってみると信者側のひたむきな信仰心が伝わってくることは勿論、僧侶の「偽善のない自分自身の役割への真剣さ、命を懸けた、ひたむきさ」が実感されたのです。自分のような言わば遊び半分のような短期出家者が受け取れる行為ではないと恥ずかしさと後ろめたさで一杯でした。今回は前回と違って日本語コースと言うことで、前回の夕方のお経を唱える時点で、「布施・托鉢」に関して、僧侶が毎日、何を自分に問うているのか、良く理解できました。人の施しで生きている僧侶が一時もこのことを忘れることなく、自分自身を見つめ、修行し、信者のために、功徳を生じさせることに心を粋いているかを知りました。今の自分に布施を受ける資格があるとは言えませんが、せめて短期出家の期間が終わるまでは、一時も気を抜くことなく、真の僧侶である心と行動、言葉使いを心掛け、信者さんの気持ちを裏切らないようにと誓いました。
チェンマイでの最終回に「托鉢」を行いましたが、何軒かの家はとても貧しく、ご飯のみを布施してくれました。
布施は金額多力でもなく、物品の豪華でもなく、布施する者の気持ちであることが真から理解できました。
来年以降も日本人短期出家コースは開催されるでしょうが、この「托鉢」体験を多くの人達に体験してもらいたいと思います。
仏教国であった日本人であれば、このコースでの「托鉢」を体験すれば、仏陀の説く「布施」の真の意味が分かると感じました。
瞑想の上達に関しては、ただ瞑想だけを一生懸命やっても意味がないことを今回の参加で遅いですが知ることができました。
短期出家コースに於ける総ての訓練一つづつに瞑想の上達につながる効果があるのです。住職の言葉である。
「昔の悪い行いは忘れ、よい行いだけを思い出す。これからは良い行いだけをする」を心掛け、子供時代の純粋な気持ちに戻れるよう努力して、瞑想に励みたいと思います。
このような貴重な体験をさせていただいたルアンポーをはじめ僧侶・寺院関係者、ご支援くださった信者の方々に心より厚くお礼申し上げます。
吉野周治







このウェブサイトは、ある男たちの物語を紹介します。日本人である彼らはタイ王国を訪ね、今まで体験したこともない境地を挑戦しました。2500年以上伝えられてきたブッダの教えを学ぶために、短期間で仏門に入り僧侶の人生を体験しました。その体験は言葉で言い表せないほどなものでした。この体験によって彼らは自分の人生の目的を見つけました。
彼らの物語から皆さんは自分が必要としていることに気づき、自分の人生の目的を見つけ、仏教の真髄に触れることになれることを、心から願っています。